2024年03月15日
一度は聴いたことがある秩父発祥の卒業ソング「旅立ちの日に」
皆さんこんにちは!+RIVERPOOL 埼玉ちちぶスタッフの町田です。
気温も上がり始めて、徐々に冬の終わりを迎え、春に向けて桜も開花の準備を始めている今日この頃です。
卒業生の方も今まで育ってきた学校に別れを告げ、新たな人生の門出に向けて準備を始めていると思います。
人生においても一大イベントの「卒業式」ですが、やはり欠かせないのは「卒業ソング」ですね。
今まで楽しかったことはもちろん、辛いこともあったであろう学校生活を思いだしながら歌う卒業ソングは、歌い手の学生の皆様はもちろんの事、鑑賞者側の「お父さん」「お母さん」も涙なしでは観られないと思います。
そんな様々な感動を生んできた卒業ソングですが、誰もが知っている卒業ソング「旅立ちの日に」が+RIVERPOOLのある秩父で誕生したことをご存知でしょうか?
そこで今回は、全国的にもかなり有名な卒業ソング「旅立ちの日に」の誕生秘話のお話をしていきたいと思います。
「旅立ちの日にはどのように出来たの?」
定番卒業ソングの1つである「旅立ちの日に」はなんと埼玉県秩父市の秩父市立影森中学校で作られました!
今では全国でも歌われている卒業ソングの発祥地が地元なのは誇らしいですね。
一度聞くと忘れられない流れるようなメロディーと、感動的な歌詞はまさに卒業ソングのキングと言っても過言ではないでしょう。
そんな卒業ソングのキング「旅立ちの日に」ですが、その誕生の裏には「小嶋校長先生」と「コーラス部」この2つの運命的な出会いが大きく関わっていることが分かりました。
小嶋校長先生とコーラス部の出会い
「旅立ちの日に」が作られる3年前に小嶋先生は秩父市立影森中学校に校長として赴任されました。
始業式で生徒たちが歌った校歌を初めて聴いたとき、あまり元気がないなと感じられたようです。
前任校で歌を中心に学校を立て直された経験があった校長先生は、「もっと大きな声で、元気に歌えるような学校にしていこう」とお話され、「歌声の響く学校」というスローガンを掲げました。
これが「旅立ちの日に」誕生の一つのきっかけとなります。
当時の校長先生はコーラス部があることを知らずに赴任しましたが、赴任初日にコーラス部の部長と副部長が「3年生だけですが、練習しているので来てください」と呼びに来たそうです。
実際に練習の様子を見に行くと、コーラス部の生徒たちは筋トレや発声練習を地道に行っていました。
しかし人数不足の為コンクールに出たことはなく、廃部の危機に瀕しておりました。
そこで、新入部員を募ったところなんと8人の生徒が入部をしてくれました。
しかし、その段階では女子16人しかおらず、合唱の要である男子生徒が居ませんでした。
そこで男子の応援部員の募集をかけたところなんと17名の男子生徒が手を挙げてくれ、しかもその生徒たちは音楽の授業の際にあまり真面目に取り組んでいない面々だったそうで、当時の音楽科教諭 坂本浩美(現:高橋 浩美)先生は思わず、「あのさみんな、ピアノの周りで発声練習をしたり、ステージに立って歌おうってお願いしているんだよ? 本当にそれに協力してくれるの?」と尋ねました。
すると男子生徒たちは少し照れながら「しょうがねえ、やってやるか」と言ったそうです。
後の「旅立ちの日に」の作曲者となる坂本 浩美先生曰く、生徒たちが心を開いてくれたこの瞬間が「旅立ちの日に」作曲のもう一つのきっかけになったと語っております。
そして今まで人数不足でコンクールに出場できていなかったコーラス部でしたが、遂に混声でなんとNHK全国音楽コンクールの県北予選に出場することが叶いました。
結果としては埼玉県のコンクールには手が届かず、発表の後生徒たちは大泣きをしたそうです。
そんな悔しい思いをした1年生も3年生になり卒業する日が着々と近づいてきました。
「歌声の響く学校」というスローガンに向けて邁進した生徒たちに向けて、坂本先生と校長先生は何かプレゼントを作りたいと考えたそうです。
そこで世界に1つだけのプレゼント「歌」を作ることに決めました。
坂本先生が校長先生に作詞を依頼したところ、最初は「私にはそんなセンスはないから」と断られてしまいましたが、翌日、坂本先生の机には書き上げられた詞が置かれていたそうです。
坂本先生はその詞を見て感激し、楽曲制作を始めたのですが、制作に要した時間はなんとたったの15分程度だったのだとか…
「天才の一瞬の閃きは凡人の一生に勝る」という言葉を聞いたことがありますが、それにしても天才すぎますよね。
ですが「天才は1%の閃きと99%の努力で出来ている」とも言いますので、今までの努力あってこその閃きだったのかなと僕は思うようにしておきます。
そして遂に出来上がった曲が「旅立ちの日に」となります。
旅立ちの日にの初演は「3年生を送る会」のサプライズとして先生が歌ったそうです。
歌うのもこの時を最後にする予定だったのですが、翌年からは生徒たちも歌うようになり、それがきっかけで周りの中学校でも歌われ始め、今では定番卒業ソングとして名を馳せるようになりました。
なお秩父には「旅立ちの日に」を記念に作られた観光スポットもございますのでそちらの紹介もさせていただきます。
旅立ちの丘
「旅立ちの丘」モニュメントは、「旅立ちの日に」が秩父で発祥したことを記念して建設されました。
展望台からは秩父市街地を一望でき、卒業・結婚・就職など、人生の様々な「旅立ち」の場面を迎える方々にとって、希望を胸に訪れる人気スポットとなっています。
モニュメントは展望台も兼ねており、通路を通って先端のステージに行くと、秩父市立影森中学校の生徒によるコーラスが流れ始めます。
秩父市田村(秩父ミューズパーク展望台ちびっこ広場脇)に位置しており、電車や車でアクセスできます。
「旅立ちの丘」モニュメントの柵は五線譜をイメージして作られており、南京錠や鈴、絵馬などを掛ける事で永遠の愛を祈願できます。
僕もいつか南京錠を掛けに行きたいですね…
また「旅立ちの丘」モニュメントに隣接してたたずむ「ミューズアロー」もございますのでそちらの紹介をさせていただきます。
ミューズアロー
「ミューズアロー」は弓矢の形をした鐘で矢の先端は武甲山の山頂を向いております。
武甲山の山頂を向いている理由としては、夜祭のブログでもお話した、秩父神社の女神様と武甲山の男神様は、年に1度秩父夜祭の際にだけ逢引をしている冬版の七夕伝説が大きく関わっており、「女神が男神を想うように心を込めて矢を引き放てば、矢は音にその姿を変え、武甲山に届くかのように熱い想いを乗せて丘を渡って行く」という言い伝えがあります。
お越しになった際はぜひ、あなたの思い人を浮かべて矢を放ってみて下さい。
もしかしたら恋が成就するかも…
「旅立ちの丘:ミューズアロー」 アクセス
秩父鉄道の秩父駅から下車するか、西武鉄道の西武秩父線の西武秩父駅から下車します。
秩父ミューズパーク循環バス「ぐるりん号」に乗り、「展望すべり台」停留所で降ります。
当施設からの距離:車で25分
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